こんにちは 埼玉県で頑張っているかわぐちしんぺいです。今回は前から書こうと思っていた杉原神社の思い出を書いてみようかなと。

記録を見ると何度か杉原神社にお邪魔していたのは9年前のことだったようですね。(2015年~2016年)うーんそんなに時間が過ぎたのか。。。
ここに出入りさせてもらっていたからこそ今の自分があると改めて感じるんですよ。なので自分のためにも改めて振り返りの記事を書いてみようかなと思ったのでいろいろ書いていきます。興味を持ってる人はご参考にされてください。
杉原神社(すぎはらじんじゃ)は、富山県富山市八尾町黒田にある神社である。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
スピリチュアルな人生相談やお祓いなどをしているらしいが果たして。。
このブログでわかる事
・杉原神社がどんなところなのか
・『相談』とは何なのか
・自分は行く必要があるのかどうか
参拝しに行っていた、というよりは『相談』に行ってました。その頃は鎌倉に住んでたからヨコハマから夜行バスに乗って8時間かけて行ってたんすよ。朝の6時前に富山駅に着くんだけどまー寒いんだよね。ギリギリ朝日がさすくらいの時間で店も何も空いてなくて、駅そばが一番に空くから暇つぶしに食べるんだけどあったかいスープが身に染みるの。記憶があいまいだけど最初に行ったのは12月だったんじゃないかな。そりゃ寒いよ。



そば。関東のものとは汁の色が違うね。



昼まで駅周辺でぼーっと時間つぶして時間近くになると富山駅から神社までバスで行くんすよ。金もないからレンタカー借りれんし。見知らぬ土地で田んぼの中で見知らぬバス停で降りて神社まで歩いて、呼び鈴鳴らして社務所に上がらせていただいて相談させてもらうんだよ。
紙に自分の生年月日と名前を書いてそれをもとに『相談』してくれるんだ。占いとは違うんだけど知らない人に説明するとどうしても占いって表現になっちゃうかな。書いた直筆文字をもとにその人を見て相談に乗ってくれるんだよ。初めて神社に行ったのが10代の最後だったけど嫌なことばっかりあってこれ以上生きてくのキツイなという思いがあって相談に行ったんだよ。このままじゃ20代にはなれないなかったんだよ。



基本的にこちらの話したことに対してアンサーというかお話ししてくれるの。一発目話し出すのが怖くてもう泣いてたね自分。内容とかはここでは話さないけどその時の悩みというのは解決というか自分の中で整理ができたよ。ここで整理できたからこそ自分の20代があったんだと思う。
自分の10代は傷つけたり、不義理をしたり、後悔したりでこれ以上生きてたくなかったんだよ。この話はここじゃないとできなかったと思うよ。
杉原宮司が何回も言っていたのは人生は勇気と決断力と行動力で決まるという事。勇気がないと何もできないし決断して行動しないと何も変わらないよね。人生の秘訣ってそれだけなのかなって今なら思う。
だからこそ、ここの相談は他力本願な人には合わないと思います。杉原宮司は『みんなを幸せにしてくれる人』ではないから。座っただけでピタリと当たる、聞くだけで問題が解決する都合の良い話っていうのを求めて足を運ぶと多分がっかりすることになると思います。行動して人生を良くするのは自分なんだから。
宮司は『みんなが幸せに暮らしてほしい』と思って活動をしているけど『みんなを幸せにしてあげよう』とは思っていないはず。うまく説明できないけど伝わるかな?
ここで言われたことで印象に残っていることの一つに『転禍為福』(災い転じて福となす)っていうのがあって
「終わりよければすべてよしってことですか?」と聞くと「もっと能動的な意味だよ。自分の力で災いを良いことに変えていって欲しいな」とのこと。 何かあっても振り返ってあの時のおかげだねって笑えるようになってほしい、そんな強さや前向きさを持ってほしい。そんなことを伝えたかったのかなと思ってるけど、どうですか?



神社の帰り道は毎回前向きな気持ちになって帰れてたので良かったな。
相談して自分が泣いてるとテイッシュを箱ごと渡してくれて、その時宮司が言ってた言葉を時々思い出すんだよ。
「テイッシュ置いてるけど、すぐ無くなるんだよ。みんな泣いて使っちゃうからね。なんでそうなるか分かる?私は言葉でその人の魂に触ってるんだよ。それができるとみんな泣いちゃうんだよ」
結局杉原神社でやってることってここに集約されていて、スピリチュアルな部分や神様的部分も大事なんだろうけどこの部分であれば僕も真似して実践できるなと納得したんだよ。だからそこにどれだけ迫れるかっていうのをライフワークの一つにしているんだ。僕は言葉の力を信じるてるよ。



綺麗なトンボもいる杉原神社。
あれから10年。自分がどうなったかというと、有名になったとか金持ちになったとか正直全然ないです。でもようやく平凡な小市民の暮らしを手に入れかけています。それを手にするまで僕は10年かかっちゃいました。こんな程度のものだけど自分にはなかなか難しかったー笑。
でもそんな平凡なつまらない毎日を楽しんで暮らしていきたいですね。その中で自分のできる範囲で人が幸せに暮らしていけるのをちょっとでも手伝えたらそんなに幸せなことはないし、そういうのが一番杉原宮司も喜んでくれるんじゃないでしょうか?
僕はこれからもつまんない小市民として生きて、誰かを愛して、死んでいきたいと思います。それが一番大切なんだと思うんです。
まとめ
神社をおすすめするかどうかと聞かれると、正直どちらでもないというか、中華街の占いとは違うので別に楽しくはないし必要に感じなければいかなくても良いと思います。
期待しすぎるのも良くないかもです。良い意味でも悪い意味でも予想とは違うことを言われることになるはずですので。それを諦められるか、受け入れられるかという事が大切だと思います。
結局相談に行くのに決めたのが自分なのなら、その結果何を言われても自分の責任でもあると思います。
ただここの人たちは「起こったことに対して責める」、ではなく「これからどうしていくか」というのを考えてくれると思います。
勇気を出して、楽しく暮らそうってやつだね
もう少し文章がうまければもっとその時の空気とかいろんなものを伝えられるんだけどこれが限界かなー。このページを見てくれてるのはどんな人なんだろう?どうやって神社のことを知ったのかな。少しでも参考になる文章になってたかな?行ったことある人良かったら感想や諸々コメントで教えてください⇩
ここから学んだ事がたくさんあるのでそのうちこの続きもアップします。
良かったら色々書いてるんでほかの記事も読んでってくださいな。



コメント
コメント一覧 (2件)
平凡な普通の毎日に幸せがかくれているんじゃないかなとおもいます!
その通りですね!ちょっとずつ積み重ねていきます!